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大阪地方裁判所 昭和57年(わ)6584号 判決

―事件――――――

(大阪地裁昭五七(わ)第六五八四号事件)

主文

被告人を懲役八年に処する。

未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和五七年一二月四日午後六時三〇分ころから勤務先の同僚二人と共に大阪市南区所在のパブで飲酒した後、同僚二人をそれぞれ自宅まで送り届けようと同一〇時一〇分ころ、被告人運転の普通乗用自動車にてまず同市此花区酉島方面に向け出発して市道正蓮寺北岸線(片側二車線)を西進し、おりから同区酉島一丁目市営秀野住宅前の下水道工事中のため片側一車線通行となつていた道路を、鈴木淳子運転の普通乗用自動車に追従して走行した際、先行する同車の速度が遅いことに苛立ち、前照灯を上向きにしたうえ、同車に急接近を繰り返す等のいやがらせを行い、右工事区間を過ぎるや同車を追い越し直ちに同区酉島一丁目一三番酉島東公園前交差点において信号待ちのため、中央寄り車線に自車を停車させたところ、右鈴木運転の車両もその左後方数メートルの位置に停車した。

(罪となるべき事実)

被告人は、前記の如く昭和五七年一二月四日午後一〇時五五分ころ、大阪市此花区酉島一丁目一三番酉島東公園前交差点において、信号待ちのため停車中、前記鈴木淳子運転車両から降車して自車運転席横まで近付いてきた山科勝秀(当時二〇歳)から、こらつ危ないやないか。何してんねん旨語気鋭く難詰され、前記いやがらせ運転の認識もあつたことから車外に連れ出されて暴行を加えられるのではないかと危惧し、逃走しようと自車を急発進させたが、同人が自車から離れず運転席後部寄りの窓枠付近にしがみついているのにすぐ気付いたものの、同人を振り切るためにそのまま自車を時速約五、六〇キロメートルにまで加速疾走させ、なおも同人がしがみついているので、今さら停車すれば一層ひどい危害を加えられるかもしれないと恐れるあまり、更に同人を振り落とすために小刻みなジグザグ運転を行つて同区酉島四丁目一番先路上にさしかかり、たまたま対向車線前方に大型の駐車車両を認めるや、かくなるうえは同人をこれに接触させて振り落として逃走しようと決意し、その際同人が右接触により死に至るかもしれないことを認識しながら、敢えて右にハンドルを切つて対向車線上を同車両に向かつて右斜めに直進して、自車右側面にひきずつている同人を右駐車車両である大型貨物自動車右側部分に接触させようとしたが及ばず、自車右前端部を同貨物自動車右後部車輪に激突させたうえ自車右側フロントフェンダー部分を右車輪に強く擦過しながら通過させるまでに至り、よつて即時同所において、同人を腰背部打撲による外傷性ショックにより死亡させ、殺害したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(事実認定についての補足説明)

一弁護人は、被告人が駐車中のダンプカーを認識したうえこれに向けて右転把したものではないから被告人に殺意はなかつた旨主張し、被告人も公判段階において自車がこのように右斜め前方に進行したことにつき、窓枠にしがみついている被害者を振り向いた後前方を見たら眼の前が真暗になりそのまま衝突してしまつたもので故意にハンドルを右の様に右に切つたことはなく、衝突するまでダンプカーには気付かなかつた旨右主張に副う供述をしているので殺意の点につき判断する。

二前掲関係各証拠によれば次の事実を認めることができる。

1  被告人は判示のとおり酉島東公園前交差点において、被告人が被害者同乗の車両にいやがらせをしたことにつき、被害者から「危ないやないか」等と難詰されたため、同人から暴行を加えられるのではないかと危惧して前照灯等の明りをすべて消しながら自車を急発進させたものであるが、同人運転車両は普通乗用自動車(トヨペットコロナ・ハードトップ)で車体外部には足場となるような突起物は存在せず、従つて被害者が自車運転席側後部附近の窓枠附近にしがみついてぶら下がりながら「こら止めんかい」と怒鳴つつているのを認識しながら、片側二車線の道路(車道部分の幅員一五メートル・両側に幅3.5メートルの歩道が敷設されている)を時速約五〇ないし六〇キロメートルに加速して疾走し、驚いた同乗者が何度も停車するよう大声を出しているのにかまわず、なおも被害者を振り落とそうと意図して小きざみの蛇行運転までしたこと。

2  その後、被告人運転車両は反対車線歩道沿いに駐車中の大型貨物自動車の手前約五二メートル程の中央線附近(住友化学工業株式会社酉島工場入口付近)から急に同車の方に向け、対向車線を右斜めに直進して同大型貨物自動車右側サイドバンパー中央部から後輪にかけて自車右端前部を衝突させて右フロントフェンダーを強く接触擦過させ、そのため被害者は判示のとおり死亡したものであるが、当時、右酉島工場人口付近路上にはこのように右転把せねばならぬような障害物等は存在せず、又、被告人は右接触直前には何らの制動をかけていなかつたこと、被告人の助手席にいた道澤は衝突前に右貨物自動車を認識し衝突の危険を感じていること。なお、被害者が被告人運転車両にしがみついた前記酉島東公園前路上から大型貨物自動車駐車地点までの距離は約二六三メートルである。

3  ところで、前記酉島工場入口南東側歩道上及び右入口工場敷地内には水銀灯が設置され車道面を照らしているのみでなく、同所から大型貨物自動車駐車地点までの右工場塀ぞいには二〇ワットの螢光街灯二基が設置されれるなど各所に街灯が設置され、本件当時と同条件下の夜間においても大型貨物自動車の駐車状況は約一〇〇メートル離れた地点からはつきりと認識可能である。

三右事実を前提として、被告人が駐車中の大型車両を認識したうえで意図的にハンドルを右転把させたのかひいては被告人に殺意があつたか否かを検討するに、本件運転は被告人の全くの自己防衛意図による逃走のためのものであるから、夜間無灯火で車両を運転する以上は前方を充分注視していたものと考えられ、まして被告人運転車両が対向車線を右斜め前方に直進する直前ころまで被告人は一度ならず蛇行運転という危険な行為にもおよんでいたのであるから、かかる場合には自車が歩道等に乗り上げたり対向車等と衝突したりするのを回避するため一層前方を注視していたものと考えられるから、当時の視認可能距離からして、被告人は既に前記の右斜め前方に直進する前の段階で、充分大型車両を認識しうる状況にあつたものと認めるのが相当である。そして、被告人はこの様に右斜め前方へ直進を始めてから約五二メートル先の大型車両まで、時速五〇ないし六〇キロメートルで約三秒余りを要して走行したのであるから、まずこの間に衝突を回避する余地のあつたこと、ついで右直進の距離がその直前の蛇行運転の半径に比べ長大であることが明らかであると認むべく、しかして被告人がこの様に対向車線へ進入し右大型車輛へ向けて直進したのは、その直前の蛇行運転の連続としての惰性的・無意識的な運転とみるべきではなく、意識的・目的的な運転行為と解するのが相当である。被告人の前記公判廷供述は到底措信できない。してみると、被告人が対向車線へ進入後本件衝突を回避する措置を何ら講じていないこと及びその衝突の態様からみて、被告人は対向車線歩道沿いに駐車中の大型車両の存在を認識し、これに被害者を接触させて振り落とし逃走する意図で自車を対向車線へ向けて右転把させ、判示の如く被害者もろとも自車右端前部を右大型車両に接触させるにまで至つたものと認めるのが相当であり、これに副う被告人の検察官および司法警察員に対する供述調書は信用できるものである。

しかして、足場の全く無い普通乗用自動車に被害者がしがみついているのを認識しながら、これを振り落とす意図の下に時速五〇ないし六〇キロメートルで蛇行運転まで交えて二〇〇メートル余り疾走させる行為をしたことのみをもつてしても被害者に対する未必的殺意の発生を窺えるところ、更に被害者を大型車両に判示の様に接触させれば被害者が転落しあるいは同車との間に挾まれて死に至るかも知れないことは容易に予測しうるところであるから、判示の如く被告人は未必的殺意をもつて本件犯行を行つたものであると認定した次第である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役八年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち一五〇日を右の刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、判示の如く、自車の窓枠付近にしがみつき必死で停止するよう怒鳴つている被害者に気付きながら自車を高速で約二六〇メートルも走行させ、その間蛇行運転を行い、遂には反対車線に駐車中の大型貨物自動車に自車もろとも撃突させて被害者を殺害したという残虐無慈悲な悪質重大な犯行である。

その経緯も、被告人において被害者らの乗つた自動車の後方から様々ないやがらせ運転を行つておつたため、信号待ちの間を利用してこれに注意を与えようとした被害者の言葉を暴行の予言の如く過大に受けとり急発進して逃走を図ろうとしたためこれに立腹した被害者が被告人車の窓枠付近を掴んで並走するという事態に立ち至つたもので被告人に暴走族的感覚態度のあることは否めないこと、また、停車を求める必死の叫びも空しく無残な最期を遂げた被害者の無念の情は察するに余りあり、それだけにその遺族や婚約者の悲嘆は大きくいずれも被告人に対し厳罰を望んでいること、この他被告人が公判廷において不自然、不合理な弁解に終始して反省の情が窺えないこと等に鑑みれば、被告人の本件刑責は容易ならざるものと言わざるを得ず、しかして、犯行自体は偶発的なもので特に被害者が早く手を離せばかかる事態にまで至らなかつたと惜しまれること、被告人運転車両の自賠責保険から被害者の遺族に二千万円余の保険金が支払われていること、被告人は未だ若年でこれまで前科前歴もないこと等の被告人に有利な諸事情を斟酌しても主文の刑はやむを得ないところである。

よつて、主文のとおり判決する。

(池田良兼 古田浩 豊澤佳弘)

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